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変わらない信号

この町の、中心街とベッドタウンを結ぶ道路の途中に、ボタンを押しても、いつまでたっても青にならずに渡れないというボタン式信号がありました。

いつからそこに信号と横断歩道があったのか、その町のおまわりさんですら知らないといいます。

誰もその横断歩道を使いません。

なぜ使えません、ではなくて、使いません、なのか――、それは、そこから1分ほど歩いたところに、ちゃんと働く信号と、ちゃんと渡れる横断歩道があるからです。

だから、誰も文句を言わないまま、直されることも、撤去されることもなく、ずっとそこに立っていました。

そこを通る大人たちはみな、まるでその信号のことが見えないかのように、素通りしていました。向こう側の歩道へ渡りたいものは、わざわざ待たずとも、そこからちょっと歩けばいいわけですから。

子どもたちは学校へ向かう途中、毎日のようにいたずらでボタンを押しますが、その子どもたちも、学校へ遅刻してはいけないと駆けていって、青になったのは誰も見たことがありません。

ましてや車の運転手はここに信号があることすら忘れてしまい、目的地へと車を急がせます。

この町の人々は以前こそ話題にしてましたが、だんだんと忘れていきました。

そうして、あるのかないのかわからない信号は今日も、赤信号を輝かせて道行く人を睨みつけていました。

そんな町が、ある日、満月の夜に照らされて静まり返っていたところです。

少年が青にならない信号の前に立ち、ボタンを押しました。

もちろんボタンを押したこと以外は何も変わりません。

いつまでも、いつまでたっても、何も変わりません。

どれだけ時間がたったでしょう。

少年が、「まだかなぁ」とつぶやいたとき、どこからか、しわがれた、老人の声がしました。

「おい、お前、なぜそこで待つ」

「え?」

少年はびっくりしました。周りに人っ子一人いないのに、しわがれた声だけがそこに響いたからです。

少年がおびえながら周りを見渡していると、またその声がします。

「ここだ」

「え――」

少年は赤信号と目が合いました。――見た、というよりは、目と目があったと言ったほうがぴったりでしょう。

「どうして待つんだ?」

少年は驚きのあまり声がでません。どうやら声の主は目の前の信号のようです。

「お前はこの信号が青にならないことは知っているんだろ?――なんとか言え!

「ご、ごめんなさい!」

少年はおっかなびっくり返事をしました。

「ここの信号が変わらないことは知っています。でも、ここを渡ったほうが近いんです」

「ばかな!」

信号は鼻で笑いました――信号に鼻はありませんが。

「向こうのほうを渡ったほうがすぐ家に帰れるというのに!」

「でも――」

少年はおびえながらも言いました。

「もし変わるなら、青になるんなら、これからはここを渡りたいんです!だから、青になるまで待ちたいんです!」

「なんとまあ不器用な子供だ!」

信号はまたばかにしたように笑いました。

「お前たち人間にとって、【待つ】ほどばかばかしいことはないんだろ?!みんなそうさ!」

信号はしわがれた声で一気にしゃべりました。

「私がここに立ったころは、この横断歩道を人間に渡らせていたんだ。そうしたらたちまち車の列ができて、車たちはクラクションをならしはじめたんだ!そこで私は車たちを通して、人間を渡らせないようにしたんだ。そうしたらどうだ!人間たちは待つどころか、新しい信号を作った!人間はみんなそうさ!【待つ】なんてこの世で1番おろかしい行為だと言わんばかりに!」

「それは違います!」

少年は大声で言います。

「【待つ】ことも、大事なことです!【待つ】と楽しみなことがもっと楽しみになります!【待つ】と1秒の長さを感じることができます!【待つ】ことがばかなことだなんて、僕は思いません!」

そして少年は優しくさとすように言います。

「だから僕はここで待ちます。あなたの、青い輝きを、僕は待ちます」

「ふん!偉そうに!」

信号はふてくされたように言い捨てます。

「それなら一晩中待っているがいい!俺は青になんかしないぞ!」

「ええ、一晩中でも、待ちますとも!」

「何――!」

信号がそのとき何を思ったか、それはわかりません。

しばらく間があきました。少年と信号の周りを、再び静けさが包みました。

信号は赤く輝き、満月は白く柔らかい光でした。

少年が、月を見上げ、「今日はいい月だ――」といい終わるか終わらないかのうちに、自動車用信号が、青から、黄、そして赤になりました。

そして、少年が再び信号に目をやると、少年を睨んでいた歩行者側の信号は、赤色が消え、青色になりました。

「あ――!」

少年は驚き、そして、笑顔になりました。

「――何をぼーっと突っ立っている!」

しわがれた声は、先ほどより柔らかくなったようでした。

「さっさと渡らんと、また赤になるぞ!」

「――はい!」

少年は微笑みながら、横断歩道を渡りました。

青信号は輝いていられるわずかな時間を惜しむように、点滅しました。

そして元の赤色になると、信号はしゃべりはじめました。

「お前みたいな子どもはこんなところにいないで、さっさと家に帰れ!」

信号は照れくさそうに言います。

「――お前のような心のきれいな子どもは、夜にこんなところをうろつくもんじゃないぞ――」

「――はい!」

少年は嬉しそうに、家路を駆けて行きました。

次の日の朝、いつものようにボタンをいたずらで押した子どもたちは驚きました。信号が変わったからです。

たちまち大人たちの耳にも入り、大人たちもボタンを押すと、やはり信号が変わりました。

大人も子どもも嬉しそうでした。

そこを通る車は、信号が赤だったので驚きましたが、事故を起こすことなく次々に停まりました。

しかし車の運転手たちがイライラしてクラクションを鳴らそうとするとタイミングよく青になり、車たちは再び動き出しました。

誰も気づきませんでいたが、以前より信号の輝きが鮮やかになったようです。少なくとも、睨みつけているような印象は薄れていました。

この町に、新しい時間が流れ始めたのでした。

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